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泣く女

 投稿者:エブリ  投稿日:2009年11月25日(水)21時25分29秒
  泣く女

『泣く女』(なくおんな)は、パブロ・ピカソが1937年に描いた絵画作品。ピカソが写真家であり絵も描いた愛人ドラ・マール(本名、アンリエット・テオドラ・マルコヴィッチ)をモデルにした、有名な作品の一つ。

ドラ・マールをモデルに描かれた作品には『ドラ・マールの肖像』など油彩に限らず他にもあるが、最もよく知られるのはこの「泣く女」である。ただし「泣く女」をモチーフとした作品には100種類以上のバリエーションがあるといわれる。

作風
その作風は極めていろいろある。目玉が飛び出るほど泣く女。嘆き悲しむ泣く女。ハンカチを食いしばって泣く女。空に叫ぶかのように泣く女。だが、どれも「青の時代」に描かれたものなのに珍しく「青」「黒」に加えて「黄」「赤」「緑」「オレンジ」などの色も追加されている。これは、ピカソの「狂った波調」によるものと考えられる。

ゲルニカに使用された泣く女 [編集]
ピカソの代表的な作品『ゲルニカ』にも「泣く女」は登場している。ゲルニカ左下部にある兵士の上には「死んだ子供を抱きかかえてなく母親」がある。これも名称はちがっていれど、泣く女の影響である。死んだ子供は白目をむいて手も足も垂れ下がっている。それを抱きかかえる母親は泣きに泣いて天に向かって叫んでいるように思えるほどである。口の中から飛び出るように出ている舌がその証拠である。泣く女として書かれている「ゲルニカのための習作」は飛びだした目、鏃(やじり)の形をした鼻孔、そしてひどくとんがった舌が代表的。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A3%E3%81%8F%E5%A5%B3

 
 

ゲルニカ

 投稿者:エブリ  投稿日:2009年11月25日(水)21時22分10秒
  『ゲルニカ』(Guernika)は、スペインの画家・パブロ・ピカソがスペイン内戦中に空爆を受けた町ゲルニカを主題に描いた絵画、およびそれと同じ絵柄で作られたタピストリー作品である。

スペイン内戦の最中の1937年4月26日、スペインのバスク国の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。史上初めての都市無差別空爆と言われている[1]。滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として急遽ゲルニカを主題にこの作品に取り組み、6月4日には完成させる。

スペイン内戦はフランコ将軍の勝利により終結。この絵はロンドンなどを巡回したのちにヨーロッパの戦火を避け1939年、米国に渡りニューヨーク近代美術館に預けられる。第二次世界大戦後もフランコ将軍の政権下にあったスペイン政府はこの絵の返還を求めるが、スペインに自由が戻るまでこの絵を戻すことはないとピカソは拒否した。ピカソは1973年この世を去る。フランコ将軍も1975年に没し、政体の代わったスペインとニューヨーク近代美術館との間にこの絵の返還交渉が再び始まった。1981年になってようやくスペインに返還され、現在はマドリードのソフィア王妃芸術センターに展示されている。

ピカソは大戦後これと同じ図柄のタペストリーを3つ制作しており、そのひとつはニューヨークにある国際連合本部の国連安全保障理事会議場前に展示されている。

『ゲルニカ』は、その誕生からその遍路の間も反戦のシンボルであり続けてきた。ただ、ピカソが後に共産党員になったことや人民戦線との繋がりから、ピカソの義憤の象徴と解釈するのには異論もある。


1937年の作品は縦3.5m、横7.8mの大作である。キャンバスに工業用絵具ペンキによって描かれた。これが後に絵画としての痛みの要因となるが、大作にしては短時間(1ヶ月弱)で描ききれた(油彩よりも乾きが早く、作業効率も高い上にコストも安上がり)のである。当時の絵画としては珍しくモノクロームで描かれている。あえて血の色を見せなかったことが格別の効果を与えている。各部分の習作や、後のタペストリー作品は彩色が施されている。

死んだ子を抱き泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようにいななく馬などが戦争の悲惨さを訴えている。全体の構成はキリストの磔刑図をイメージさせる。人間の目をした牛の顔や窓から室内に首を突き出す人物など奇妙な像もあり、さまざまに解釈されている。ピカソが好んで描いてきた闘牛やミノタウロスの神話などとの関連も指摘できる。なお兵士、動物以外の人物はすべて女として描かれている。

『ゲルニカ』完成以降、平和運動の象徴とされたピカソは、それ故に朝鮮戦争をテーマとした作品を引き受けた。ちなみに、この作品内の泣き叫ぶ女だけを独立した作品にした『泣く女』という絵がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%AB_(%E7%B5%B5%E7%94%BB)
 

アヴィニョンの娘たち

 投稿者:エブリ  投稿日:2009年11月25日(水)21時17分45秒
  娘たち.....と題するには、あまりにも強烈な、一度見たらちょっと忘れられない作品です。しかし、彼女たちから発せられるおおらかな生命感はなかなかステキで、故池田満寿夫氏が非常に好きであったことからも頷けるように、おそらくキュビスムの開花を示す記念碑的な作品である、と言えると思います。タイトル自体は、バルセロナのアヴィニョン街にある売春宿に由来しますが、ここにある顔はもはや娼婦たちのそれではなく、ピカソ自身がその前年に見たイベリア彫刻やアフリカ彫刻の強い影響を受けています。
 まず、中央の女性の顔は単純化された輪郭を持っていますが、これはスペインのプリミティブ時代の美術からヒントを得たものではないかと言われています。また、右端の二人の女性の顔に広がる縞模様はアフリカやオセアニアの仮面に似ていると言われ、事実ピカソはトロカデロの人類博物館でアフリカやオセアニアの美術にすっかり魅了されたと言われています。
形体の平面化と線の抽象化を突き詰めながら、ピカソはたしかに新たな造形的世界を成就し、原始美術とセザンヌの押し進めた「セザンヌ風キュビスム」と呼ばれるものを結びつけていったと言えるのです。見た目の本物らしさを捨て、まったく新しい裸婦の表現を開拓したピカソは、この作品を完成させるために何ヶ月もの間、構図を練り、100枚以上もの習作を描き続けたのです。
 しかし、アトリエにこもって制作を続け、この6平方メートルにもおよぶ大作を完成させたとき、友人たちはいちように批判したと言います。普段なら無条件でピカソを認めるアポリネールでさえ、驚愕とともに激しく批判し、カリカチュアに専念したほうがよいのではないかと忠告したほどだったそうです。しかし、この作品はやがて20世紀の絵画運動のなかでも最も重要なキュビスムを動かす原動力ともなっていくことになるのです。
 ピカソはこの「アヴィニョンの娘たち」を、自らの最初の「悪魔ばらいの絵」だと語ったと言われています。ピカソにとって黒人芸術とは「人をおびやかす知られざる精霊たち」に立ち向かうための呪術的存在でした。形態を通して思想を表す黒人芸術は、自らもまた「あらゆるもの」に立ち向かうことを喜びとしたピカソにとって、自分自身を表現するに一番ふさわしい表現手段だったと言えるのだと思います。

http://www.asahi-net.or.jp/~rv3m-stu/pic317.htm
 

ブルーバック

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 8月16日(木)09時02分49秒
  ニュース番組の天気予報のコーナーなどで、映像を合成して背景を別のものに差し替える技術がある。クロマキー(Chroma key)と呼ばれるもので、スタジオでは青いスクリーン(ブルーバック)の前で撮影、青い部分が透明になるように処理している。でもなぜ青なのか。

クロマキー合成自体はブルーバック以外でも技術的には問題はないが、テレビ番組では一般的に人物の背景を抜くことが多いため、肌色の補色(反対色)に近い青を使う方が抜きやすいのである。もちろんブルーバックの前に立つ時は青系の洋服やメイクはNG、その部分まで背景に差し替えられてしまう。

ちなみに日本ではブルーバックを使うことが多いが、欧米ではグリーンバックを使うことが多い。これは目の色が青い人が少なくなく、ブルーバックを使用すると目の部分が抜けてしまうため。レッドを使うこともある。

http://www.jubako.com/

 

糸のこパズル

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 7月 4日(水)08時21分18秒
  凹凸のある小さなピースを組み合わせて一枚の大きな絵や写真を完成させる。
遊びや趣味として愛好家の多い人気の「ジグソーパズル」だが、考案された当初はそんなに楽しいものではなかったとか。

ジグソーパズルが生まれたのは1760年頃のイギリス。地図の製図師をしていたジョン・スピルズベリー(John Spilsbury)が子供たちに地理を教える教材として考案、ヨーロッパの地図を国境に沿って切り離したものだった。これが後にゲームとして広まり、銅板や木板をジグソー(Jigsaw、糸鋸)で切って作ったことからジグソーパズルと呼ばれた。

金属製の抜き型を使用し紙のジグソーパズルが誕生すると低価格で大量生産が可能となり、20世紀前半にブームとなる。日本では1974年、名画「モナリザ」が公開されたのに合わせて、モナリザの輸入ジグソーパズルが大ヒット、国産のジグソーパズルが作られるようになると趣味として浸透していったという。

http://www.jubako.com/

 

キューピーちゃん

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 5月30日(水)08時51分57秒
  愛らしい表情、赤ん坊の姿が特徴の「キューピー」。特にセルロイド製やソフトビニル製のキューピー人形は世界的な大ヒット商品でもある。また日本ではマヨネーズで有名な調味料メーカーもキューピーをマスコットキャラクターとして採用している。

キューピー(Kewpie)というキャラクターが生まれたのは、1909年のアメリカ。女性雑誌向けのイラストとしてイラストレーターのローズ・オニールが考案したもの。ローマ神話に登場する愛の神Cupid/Cupido(キューピッド/クピド)をモチーフにしている。

ちなみに日本の調味料メーカーは「キューピー株式会社」ではなく「キユーピー株式会社」が正しい表記。ロゴデザインの際にバランスを考えて大きな"ユ"にしている。アメリカのキューピーを元にはしているものの、キャラクターの背中に羽根がついていないなど細かい違いもある。

http://www.jubako.com/

 

ロードショー

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 3月 9日(金)13時19分30秒
  全国一斉ロードショー、先行ロードショー、金曜ロードショー…映画に関する話ではよく登場する「ロードショー」(road show)という言葉がある。何となく映画が公開されるという意味で理解されがちだが、厳密にはちょっと違う。

もともとは芝居の旅興行に由来するもの。新しい映画が出来るとまず地方の小さな映画館で上映、客の反応を見てその後の展開を決める。「封切り」とも言うが、映画の初回上映を意味し、大都市での先行上映もロードショーと呼ばれる。その意味では「全国一斉ロードショー」というのはおかしな表現?

英語では「プレビュー」(preview)と呼ばれるのが一般的。また「プレミア」とも呼ばれ、日本でもプレミア上映やプレミア試写会という言葉がある。何か付加価値のある特別な上映と勘違いされやすいが、この場合のプレミアは初回、初日を意味するpremiere、プレミアム(premium)のプレミアとは別物。

http://www.jubako.com/

 

トリの取るもの

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 3月 2日(金)14時17分43秒
  寄席などの興行で最後に出演する人を「トリ」と呼ぶ。NHKの紅白歌合戦では各組の最後の歌手がトリ、そのうち後に歌う方はさらに大トリなんていう呼び方もする。トリとは鳥ではなく「取り」のこと。

かつて落語の寄席では興行の看板役である真打ちが最後に出演し、出演者全員の報酬をまとめて受け取っていた。これがつまり「トリ」(取り)で厳密には最後の出演者というよりは、この受け取る人を指す言葉。トリはさらに各出演者に報酬を分配し、その1人1人の報酬、出演料は「ワリ」(割り)と呼ばれる。

落語界では他にも出演順を指す用語があり、トリの前に控え目ながら客席を盛り上げてトリに繋げる色物芸人を「膝替り」「膝」、仲入り(中盤の休憩時間)の前に出る人は「仲トリ」、仲入り後の最初は「食いつき」と呼ばれる。

http://www.jubako.com/bn/index.php?1882

 

シャネルナンバー

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 2月16日(金)10時55分35秒
  シャネルの5番(NO.5)といえば1921年に発表され、今なお根強い人気を持つ香水の名品。マリリン・モンローが記者の質問に対し"What do I wear in bed ?Why, Chanel NO.5, of course."(夜は何を着て寝るかって?もちろんシャネルの5番よ)と言ったことは有名な話。

5番と言うからには1~4番もあるのかというと無い。シャネルの創始者ココ・シャネルが調香師エルネスト・ボーに香水の開発を依頼、数ヶ月後届けられたのがNO.1~5、NO.20~25というラベルの貼られた10種類の試作品。シャネルはボーの調香したものだからどれでも間違いないと考え、自身のラッキーナンバーであるNO.5を選んだのである。

この試作品のナンバーをそのまま商品名として採用、さらに1921年の5月5日、5回目のコレクションで発表された。ちなみにもう1つ有名なシャネルの香水、19番もこの時選ばれたものの1つ。シャネルの誕生日8月19日にちなんだと言われている。

http://www.jubako.com/bn/index.php?1872

 

記念の入場者

 投稿者:ミナガワメール  投稿日:2007年 1月24日(水)09時01分16秒
  「おめでとうございます、あなたが○万人目の入場者(来場者・利用者)です」
空港や有料道路、水族館などで客が驚いたような様子で花束を受け取る、そんな場面がニュースでよく紹介される。そんな数、どうやって数えているのか。

厳密に数える場合、数えているのはコンピュータや発券機、あるいはチケットの半券を手作業で。前日までの入場者数が記念に近付くと、当日係員が1人1人数えて該当者を引き止める。入場口が複数ある場合は1ヶ所に絞って数えやすくする。ただこの方法だと中途半端な時刻になることもある。

来賓やマスコミを長々と待たせるわけにはいかないことから、実際には大体の人数で決めることが多い。過去のデータから記念数に達する日を推測、午前10時や午後3時といった時刻に記念式典を行い、その頃通過した人を選ぶというわけ。マスコミ向けに家族連れなどを選ぶこともある。つまり式典の時刻に入場すれば記念の入場者になる確率は高いということになる。

http://www.jubako.com/

 

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